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江戸時代の節分

2/3は節分でした。さて、江戸時代の節分は果たしてどうだったのかな?と思ったので、手持ちの『東都歳時記』にて調べてみました。

【江戸時代の節分】
節分は立春の前にあたり、節分の夜を年越と呼んでいました。今の感覚でいうと、年越しは大晦日の夜(つまり12/31)であって、節分(2/3)とは全然違うじゃん?ということになりますが、太陰太陽暦と太陽暦といった暦の違い等により、こういったずれが生じております。
節分が大晦日にあたるとなると、節分の翌日は、新年・・・つまり立春が新年の始まりということになります。それゆえなのでしょうか。節分の夜には、
自分の年より1つ多く炒り豆を食べる
そうです。江戸時代においては誕生日という概念はないらしく、皆平等に新年をもって年を取ります。(つまり今で言う数え年ですね)

ちなみに「節分」の意味は「季節の変わり目」という意味だそうです。ゆえに元々は年に4回節分があったのですが、立春の前日の節分が序々に重んじられるようになったため、このような形になったようですね。

この風俗に合わせて、私も節分の夜には炒り豆を自分の年齢+1個食べましたが・・・豆も美味しいなぁというわけで、今宵も食べていたり。う~ん・・・食べちゃって良いんだよね?(^^;
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